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私の1回目のブログ。ほんの少しだけ、訂正しました。
ブログって、むずかしいですよネ。自分の日記ぐらいのつもりで、書いていて、それを世界中の人が見ることかできるんだから(日本語で書いてもグーグル先生にかかったら、すぐに翻訳もできる)。だから、私の個人情報は,書けないし。
まあ、でも気軽に書きたいと、思います。だから、文法的におかしいとか、論理的におかしいとか、言葉、名称、固有名詞なんかも間違っているところあるとか、大いにあると思いますが、私も敢えていちいち正確に調べたりせずに、書きたいと思いますので、ホームページの本文、お知らせ、のところは、バッチリ正確な情報ですが、こちらのブログは、文字言葉の間違いあるものとして、興味ある方は、お付き合いください。
ということで、記念すべき第1回目の試運転ですが、内容が決まりました。
先週、とある御婦人の患者さんから、私があのノーベル賞もらった山中先生に似てますネ、と言われました。私自身、似てるとは思ってないですけど、ということで、山中先生のことを少し書きましょう。
実は、私は、山中先生と友達なんです。今は、連絡することもないので、友達だった(過去形)という方が、正確かもしれません。確か、1992年ぐらいだったと、思います。彼は、大阪市立大学医学部の大学院生で、私は大学院卒業して、学位もらって助手待ちをしていたころです。(彼は、私より2学年下だと思う。)彼と私は、アルバイト先の病院が同じで、そこで親しくなったんです。当時、分子生物学が、はやり始めたころで大阪市立大学医学部ではまだ遺伝子をさわっている人は数えるほどでした。彼の所属する薬理学教室でも遺伝子の実験を始めるというので、遊びにおいでと、言われて遺伝子実験を習いに行ったのをよく覚えています。それで私たち2人とも分子生物学を始めたのですが、彼はご存じの大先生で、私は町医者ですから(私も、一応留学とかしてたんですけど)人生いろいろです。
当時は、私の周りでも海外に留学する人も結構いて、彼は、当時、大学院4年生で、卒業したら就職する病院まで決まっていたんですね。でも、留学したいということで留学先を探したらアメリカから来てもいいという返事が来たんですね。もし、あの時、留学してなくて、そのまま就職していたら、今、普通の整形外科のお医者さんかも知れないのですから、人の人生わからないものと、最近つくずく思います。
実は、私、山中先生に当時もらった本があるんです。当時、彼は整形外科医で、私、腰痛の患者さんにどこの病院でもよくやっている腰にする痛み止めの注射のことを根ほり葉ほり聞いていたら「僕、もうこの本いらんからあげるわ。」と言って、注射の仕方書いた本くれたんです。それ、今も持っています。
これを読んでいるみなさん、「お宝探偵団」というテレビ番組知ってます?そうです、山中先生ノーベル賞候補というニュースが流れた時、私あの本まだあったかなと、本棚を思わず探しました。有りました。でも、彼の名前は、残念ながら書いていませんでした。指紋はついていると思いますが。まあ、「お宝探偵団」といっても、この本に高値が付く訳でもありませんが、話のネタぐらいには、なる話です。
彼とも、一度、会って昔話などしてみたいものだと思いますが、あまりに偉くなって、遠い存在になってしまいました。
人の人生、わからないもの、と最近、僕自身の人生も含めて、つくずくそう思います。